自転車に乗ったまま、まるでフィギュアスケートのようにポーズを取るスポーツがあるのをご存知だろうか?サイクルフィギュアと呼ばれるそのスポーツは、高度なバランス感覚と、熟練された技術が必要な美しいスポーツだ。ドイツが本場のサイクルフィギュアを日本で広めるべく活躍されている方がいる。今回はその魅力を教えていただくために、全日本選手権で10連覇を達成し、世界選手権にも出場経験のあるサイクルフィギュアの第一人者、堀井和美氏にお話を伺った。

「子どもたちにはこの競技を通して諦めずに努力し続けることの大切さを伝えたいです。大技になるとなかなか習得できなくて挫けてしまうこともありますが、そこで真剣に向き合って、乗り越える喜びを味わって欲しいです。」

熱心に指導に取り組む姿勢が印象的だった
絶妙なバランスで技が完成する

サイクルフィギュアは自転車の上でアクロバティックな技を行う。優雅な動きとは裏腹に、競技者は高度なバランス感覚や、鍛えられた体幹が必要だ。技の種類や練習方法、競技の難しさなど、サイクルフィギュアとは何かを教えていただいた。

――技の種類はどれくらいあるんですか?

約300種類の技が登録されています。それぞれの技には点数が決められていて、専用の自転車で5分間に最大30の技を組み合わせて、いかに正確に行うかを競います。

ハーフサークル、サークルと言って、一つの技をやるのに半周以上はやらないといけません。それを1周やるとさらに点数が高くなって、フリーハンドと言って手放しでやるとさらに点数が高くなります。あらかじめ演技の申告をして持ち点を出しておき、演技の正確さなどから減点方式でジャッジされます。あとは1人で行うシングルと2人で行うペアというカテゴリー分けもあります。

中学生から高校生まで幅広い世代が練習に取り組んでいる

――競技をするにはどういったことが必要ですか?

バランス能力はもちろん、体幹や筋力、瞬発力、集中力など総合的な能力が必要です。技の中には力技でやるものもあります。あとは自転車の上でやるので恐怖心に打ち勝つようなメンタルも必要ですね。どの競技でも言えることですが、コツコツと努力することで出来るようになっていきます。

――技を覚えるにはどうするんですか?

それぞれの技には細かく規定があります。ここはついちゃいけないとか。ルールブックで確認して、ビデオで見たりしながら、それぞれの選手のレベルに合わせて練習していきます。私のチームでは、私ともう一人指導者がついています。マンツーマンに近い形でサポートをしながら習得してもらっています。

クラブチームでは堀井氏によるマンツーマン指導が行われる

――難しい技も多いと思いますが、どのように練習を行っていますか?

最初は恐怖心もあると思います。難しい技はいくつかのパートに分けて、段階を踏んで練習していきます。1つずつパートを完成させていきながら、次の段階にチャレンジして、最終的に完成を目指します。失敗も多いので、それを重ねて乗り越えていく感じです。難しい技は完成するまでに1〜2年かかることもありますが、完成したときの達成感はすごいですよ。

――大会に出場するまでにはどれくらいの技を覚える必要があるんですか?

最低15種類くらいあれば、日本の大会には出場できると思います。クラブチームの基準としては基礎的な技は一通りマスターしてもらってから出場してもらっています。

――競技を始めるにあたって、どのような準備が必要ですか?

私のチームでは専用の自転車は貸し出していますので、やる気さえあれば大丈夫です。あとは動きやすい服装やシューズくらいですかね。

このポーズのままサークルを周回する
競技には専用の自転車を使う

後進の指導に熱心に打ち込む堀井氏だが、自身も全日本大会で優勝し、世界大会へも出場している。サイクルフィギュアの魅力とはなんなのか。堀井氏がサイクルフィギュアに取り組んだきっかけを教えていただいた。

――堀井さんがサイクルフィギュアに出会ったきっかけを教えてください。

大学に入った時にたまたま出会ったんです。私は大学に入って新しいことを始めたいと思っていました。色々なクラブを見学して、友人の付き添いで行った自転車部でサイクルフィギュアを知りました。「こんなスポーツがあるんやけど」って先輩に見せていただいて、その時に「えー、自転車で技?」という衝撃を受けました。話を聞いていたら日本ではまだほとんどやってないと言われて、ますます面白そうやなと思いました。

――怖そうだなとは思わなかったんですか?

そうなんです。最初に乗らせてもらった時も、「ブレーキもないし、あれ?」っていう感じだったんですけど、案外、普通に乗ることができました。そしたら「ほんまはすごい怖がる人が多い」って言われて。でも私は意外に「えー、楽しい」みたいな感じで乗れたので出来るかもと思いました。元々、体操競技やフィギュアスケートに憧れがあって、それを自転車でやるのが新鮮だったし、面白そうなんでやってみたいですって軽いノリで始めたんです。

大学生の頃(1990)

しかしその後、堀井氏は全日本大会で10連覇を果たし、優勝回数は16回とトップ選手へと成長する。世界選手権にも多数出場し、アジアチャンピオンになるなど、素晴らしい成績を残している。

――優勝できるようになったのは、いつ頃ですか?

初めて優勝したのは1992年です。その後は怪我やドイツに行っていたもあったんですけど、2002年から2011年で10連覇を達成しました。

――ドイツでのお話をお聞かせください。

2000年の夏から2001年の7月ぐらいまでサイクルフィギュアのトレーニングに行っていました。

ドイツでのトレーニング(2000)

――それはドイツのレベルが高いからですか?

もちろんです。ドイツ発祥のスポーツで、人口もたくさんいます。レベルも全然違っていて、ドイツでは小学校の2〜3年生くらいから始めてる子が一番多いかな。体操競技とよく似ていて、競技人口の分布で、ちっちゃい子はたくさんいるんですけど、だんだん絞られていきます。高校生くらいで選手になったり、本格的に続けていくかどうかで大きく分かれます。高校生以上でやっている人は、ほんまに真剣にやってますよ。

――世界大会では、どれくらいの年齢層で戦うんですか?

世界選手権は15歳以上じゃないと出られません。それぞれの国のトップレベルの選手が出場するのでドイツではジュニアの選手は絶対に出られません。シニアレベルの選手で、ピークとしては23〜25歳くらいですね。

――堀井さんが初出場したのもそれくらいの頃ですか?

世界選手権に出たのは20歳くらいでした。日本では競技人口が少ないのもあって、競技を始めて2年目で出させてもらえたんです。その時は出場のための基準点が全日本で作られていて、2人しか出られませんでした。男子、女子2人ずつ。その基準をクリアしたので出場しました。

アジア選手権 優勝(1998)

――世界選手権はどれくらいの人数で行うんですか?

女子のシングルだと25〜30名くらいで競います。

――その中で4位入賞はすごいですよね。

シングルのカテゴリーではベスト10に入るのはちょっと難しいかもしれません。私は頑張ったら10位に入れるかな、入れないかなっていうレベルのあたりで終わってしまった感じです。最初に世界戦に出た時は最下位だったんですけどね。

――初めての世界戦はチェコスロバキアですよね?

そうです。その時は何も分からずに出場しました。自分のレベルがどれくらいかも全然分からなくて、情報もなかったので、とりあえず出場して自分の演技をするっていうだけで行きました。そうやろうなとは思ってたけど、あまりにも1位との差が激しすぎて悔しかったです。これは人間技じゃないなみたいな、どうやってあんなことできるのっていう技をされていたので。

その後、世界選には何度も出場する

――それから国内で優勝したり、海外で入賞されていますが、そこまでサイクルフィギュアに打ち込めた魅力はなんだと思いますか?

国内でトップと言っても、自分の理想とする世界のトップ選手や、そのレベルにはまだまだ到達できていないと感じていました。そういう選手がやっている演技にチャレンジして少しでも近づきたい、もっとレベルの高い華麗な技をやってみたいという気持ちが強かったです。もちろん向上心を持って新しい技に挑戦し続けないと優勝は出来ないですし、チャンピオンになった以上、それに相応しい演技ができるように練習を重ねて、精一杯の努力をしたいという思いもありました。

私が現役だった頃は、指導者もいなく、練習の環境も整ってはいませんでした。環境が整っていれば、もっと上手くなったかもしれませんが、整っていなかったからこそ、ここまで打ち込めたのかもしれません。

練習風景(1993頃)
世界選手権出場時(2011)

堀井氏は現役時代から自身のクラブチームを立ち上げ、後進の育成や競技の普及にも力を入れている。しかし、競技を始めた頃は、競技自体の知名度も低く様々な苦労を乗り越えてきた。

――最初は指導者もいなくて、ほぼ独学で取り組まれていたんですね。

最初の最初はビデオを見て、少しずつ技が出来るようになっていきました。それから世界選に行った時には、海外の選手に教えてもらったりもしましたよ。ただ1人でやってたので、1人で出来る技しか練習できませんでした。本来は自転車の上に立ったりする技もあって、それを早くにやっとかないといけないんですけど、補助が必要なのでなかなか出来なくて。

――技を習得するのに苦労されたことを教えてください。

始めた当初は自転車も古い借り物で使える時間が限られていました。専用の自転車を使うので、日本では生産していないんです。練習場所もなくて、本来は屋内の自転車競技なんですけど屋外のアスファルトの通路でやってました。学生が通っていくのを避けながら、夜の街頭を頼りにやっていて、よく溝にはまって怪我もしていました。

サイクルフィギュア専用の自転車

――厳しい状況でも辞めなかったんですね。

自転車も海外の注文ルートを確保したり、一つ一つ手探りで競技ができるように自分で整えていきました。日本にはまだ整った環境がなく、自分で行動しなければ練習すらできない中で、どうやったら上手くなれるのかを考えて、壁を乗り越える楽しさや達成感、失敗した時の悔しさが面白さになって続けられたんだと思います。他の選手と競い合って勝ち抜くというよりは、前の自分に勝ち抜くというのが軸になっていると思います。

世界選手権(2001)

大学を卒業後も競技を続け、現役選手を続けながらドイツへのトレーニング留学、クラブチームの立ち上げなども行った。ドイツでは有名な元世界チャンピオン等、いろいろなコーチに指導を受け、日本に帰ってからは競技の普及へも貢献している。

――大学を卒業してからも続けられたんですね。

卒業してから母校の龍谷大学で働いていたんです。5年くらい働きながら学生の練習が終わった後ハンドボールコートを借りて練習していました。そのあとは退職してドイツにトレーニングに行きました。2001年に日本で初めて世界選が開催されることになっていて、それに合わせて技術を磨くために行きました。2001年の7月に帰ってきて、11月の世界選までの間の練習も龍谷大学で受け入れてもらいました。その時には快く、体育館のスペースも使わせてもらって。

――じゃあ環境はだいぶ改善されたんですね。

本当に練習場所がなくて困っていたので、ありがたかったです。

――日本での世界選のあとはどうされたんですか?

当初は日本での世界選を目標にしていたので、競技者としては引退しようかなとも思っていました。でもせっかく留学してトレーニングもしたので、もったいない気がして。その時の世界選では初めてペアもやったんです。それも中途半端だったし、面白いなと思い始めた所だったので、もうちょっと続けようかなと思いました。でも続けるには場所がないっていうのがあって。

世界選手権 ペア(2001)

――それでクラブチームを立ち上げたんですね。

そうなんです。2003年にどこか体育館使えませんかって草津市に頼んで。その頃には、いろんなイベントにも出させてもらったりしていて、私のことは知ってくださっていたんで、それやったら使える場所があるよって言ってくれはって。イベントの出演依頼があったときに、協力させて頂くことができてよかったと思いました。

――現役選手を続けながら、子供も教えるというのは大変じゃないですか?

大変でした。出来るかなと思っていたけど、すごい大変でした。クラブの運営もしないといけないし、自分の練習メニューも考えないといけない、子どもたちの練習も考えないといけなかったので。最初は連盟からの助けもあるということで、「じゃあ、やりましょう」って軽く考えていたんですけど。

――それはかなり忙しいですよね。

そうですね。両立にはかなり悩んだんですけど、引退するまで10年くらいはそういう感じでした。

世界選手権(2011)

――その間にも全日本選手権や世界選手権にも出場されてましたね。

そのうちにクラブの子どもたちも真剣にやる子が増えてきて、練習時間も少なくなって自分の中で納得できなかったので、全日本選手権に集中するようにはなりました。この競技は体操と同じで、バランス感覚が発達する小学生からやるのがいいので、子どもたちにしっかり教えたいし、競技を普及させたいっていうのもありましたし。

――じゃあ、徐々に指導者としての立場へシフトしていったんですね。クラブチームを立ち上げた当初から今はどれくらいの規模になっているんですか?

最初は3人でやってましたが多い時は12人くらい所属していました。チームメンバーの中には高校生ながら、日本代表選手として世界大会でも活躍する選手もいました。

全日本選手権では多くのメダルを獲得(2013)
日本代表コーチとして世界選手権に向かう(2017)

――レベルが高くなる選手は最初から何か違いますか?

意外にそうでもないです。小学生で初めてきた時は、そんなにできない子だったりもするんです。でも本当にやりたいっていう気持ちや、はっきりした目標を持って素直に取り組む子がうまくなっていっているように感じます。練習も熱心で、やりたいっていう思いが一番大事なのかなって思います。

――指導の際に意識していることはありますか?

まずは好きになってもらえるようにしています。そうすればもっと上手くなりたいと思ってもらえるので。一つの技を完成させるまでには時間がかかりますが、コツコツと順序立てて習得するのが大切です。マンツーマンでじっくりと向き合って教えているので、選手の性格ややる気、目標を確認しながら、それぞれに合わせた進め方を心がけています。前の自分より成長したと感じてもらえたら嬉しいですね。

クラブチームオリジナルのTシャツ

――現在、クラブチームが目指しているところを教えてください。

複数人が所属するクラブチームとしては日本で最初のチームなので、滋賀県と言えばサイクルフィギュアのブルーレイクエンジェルと言われるくらいに日本に普及させたいです。地域を活性化して貢献できるようなチームを目指しています。所属する選手同士も切磋琢磨して成長してもらい、後輩も教えられるようになればチームとしても盛り上がってくるかなと思います。今はシングルが中心なんですけど、興味がある選手がいたらペアも教えていきたいですね。

現在のクラブチームメンバー

――どのような選手を育てていきたいですか?

日本のトップを目指す選手を育てたいという気持ちはあります。それが競技の普及にも繋がっていくと思うので。でも、勝つことが全てではなくて、自分の目標に向かって能力を発揮していこうとする過程が一番大事で、競技の中でそれぞれの持っている力を発揮できれば、それがその選手にとっては成功だと思います。そして、この競技を通して他の様々な事、その先に活かしていってもらいたいです。

――最後にご自身の目標を教えてください。

普及活動もやっと軌道に乗ってきましたが、このコロナ禍で以前のような練習ができなくなってしまいました。それでももっと広げていくために、何かを変えないといけないと思っていて模索中です。私自身としては、自分の学んだことやこの競技の魅力を伝え続けたいと思っています。そのためにはどんな状況も糧になると思って取り組んでいますし、今までやってきたようなショーも続けていきたいです。これからも興味のあることには挑戦して成長し続けたいし、その過程を楽しみたいと思っています。

これまで色々な方に応援していただき、今の私やチームがあるので、とても感謝しています。新しいことにチャレンジする中で私の能力を発揮できれば、その応援にも応え続けていけるのかなと思っています。

今は、オリンピックの聖火ランナーにも決まっています。これからも色々なところでスポーツや地域を盛り上げるために貢献していきたいですね。