2019年。スポーツドクターを目指し名門大学の医学部に通う青年が、ある理由で休学したかと思うと、たちまち自転車ロードレースのプロチームに移籍した。彼は、自分が将来スポーツドクターとして一流選手と関わるからには、まずは自分自身が一流の選手になるということを、ある種の必然かのように志し、結果として「医大生プロロードレーサー」となったのだ。

愛知県大府市に拠点を置くUCIコンチネンタルチーム、愛三工業レーシングに所属するその青年の名前は、大前翔さん。
医大生でありながらプロロードレーサー。こうなってくると、どうしてもその経歴にフィーチャーされそうだが、多くの人が彼に興味を注ぐ理由はもちろんそれだけではない。
プロロードレースチームの一員として日本全国、または海を越えツアーレースに参加する一方で、近年ではトレーニングコーチとしてチームメンバーのトレーニングメニューを管理。さらには、ブログや3大SNS(Facebook, Twitter, Instagram)にとどまらず、noteやvoicyなど様々なツールを使い分け、自転車だけに限らず、ヘルスケアの分野においてまで独自の見地で積極的に情報発信を行う、まさにZ世代のロードレーサーと呼ぶにふさわしい人物だ。

彼が方々で発信するメッセージを見聞きしていると、ある面では所謂スポーツ選手として一点の目標に向かう職人的な気質が感じられる一方で、やはり物事をとても客観的で緻密に分析する冷静さも感じられる。現時点でも非常にマルチな活動を続けている人物だが、いざ話を聞いていると、「この先、一体彼はどこを目指しているのだろうか?」稚拙ながらそんな疑問が浮かんだ。

一語一句、非常に落ち着いた受け答えで、年齢を感じさせない彼だが、やがて、チームを共にする仲間や将来のことについて語る姿には、純粋で、でも少し悪戯好きのような…メディアやSNSで受ける印象とはまた少し違った、少年のような人柄が顔を覗かせた。

慶應大学自転車競技部に籍を置くも現在は休学し、愛三工業レーシングチームに所属。NSCAが認定するパーソナルトレーナーの資格を有し、プレイヤーでありながらチームメンバーのトレーニングメニューを管理。
自転車競技部在籍中の全日本学生個人TTでは見事優勝。

水泳競技が生活の多くを占めるなかで、早くも挫折を感じた少年期

-大前さんは小さな頃から水泳競技を熱心にされていたんですよね。そんな中で自転車に興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか?
小さい頃は特に自転車って移動手段としてメインに使うじゃないですか。もちろん自分もそうだったんですけど、地元のスイミングスクールに通うまでの道は基本的に自転車で移動してたんですよね。片道15分ぐらいの道なんですけど、その中にはやっぱり上り坂も下り坂もあったり。で、慣れてくると家を出る時間が結構ギリギリの出発になることが多かった 笑。やばいやばいと思って急いで向かったりしてる中で、タイムトライアルではないですけど、今思えばそう言う感覚で少しスピードを出して乗ったりはしていたかなと。当時から風を切る感覚というか、それは気持ちいいなと漠然と思っていましたね。

-その時に乗られていたのはいわゆる一般車ですか?
本格的なスポーツ車と言えるものではなかったけど、ママチャリではなくて子供が乗るには少しかっこいいデザインの…ちょっとスピードが出せそうなものって感じですね。

-なるほど。ちなみに水泳競技でも素晴らしい成績を出されていたと聞きました。
一番結果を出せたのは、小学校4年の時。JOCジュニアオリンピック大会があって、背泳で優勝、自由形で3位、バタフライで4位、リレー2種目勝って、みたいな。

-すごい 笑。
ただ、実は正直いうと自分の中では水泳はもうその前後、ちょうど10歳を過ぎたぐらいから伸び悩んでいて。もちろん、昔から練習はずっと真面目にやってきていましたけど、今から思うと、その当時、自分の体の成長が他の人より早かったのもあったんだろうなって思うんです。小さい頃って個人によって成長のスピードが差があるじゃないですか。多分いろんな要素が組み合わさって、当時全国でチャンピオンになれたわけなんですけど、いざ優勝した時に、それから何を目標に持って頑張ればいいか分かんなくなっちゃって。

-やはり、燃え尽きたみたいなところでしょうか。
それもあるかもしれません。水泳ってちょうど11歳12歳と年を重ねるにつれて種目の幅が増えていくんです。10歳以下の時は基本的に50 m ぐらいしかないんですけど、100 m とか200 m とか、距離でも分かれますし、種目ごとの専攻なんかも出てくる。選択肢が増えて、小さいころの自分にはどれが自分に合ってるかの決断も難しかった。そして小学校も高学年になると中学受験も控えている。どんどん水泳の方で結果が出せなくなってきつつあったんです。

当時から自分の中では、「文武両道」っていうキーワードを自分のアイデンティティとして強く意識していました。「文」は言わずもがな勉強なんですけど、公文式をやっていたので、それはそれで結果を出す喜びを覚えていて。で、「武」の方は水泳だ、という風に。

-すごい小学生ですね 笑。
でもやっぱり子供なんで視野が少し狭くて。完璧を求めちゃう性格もあるんですけど、5歳から15歳までの10年以上、いわば物心ついた時からもうずっと水泳をやってきていたのもあって、「武」の方は自分にとっては水泳だ!という風に凝り固まってしまっていました。その水泳の結果がついてこなくなってきたのは、自分の中で消化するのにかなり時間はかかりました。文武の「武」の方が崩れ落ちるイメージしか持てなくて、結果がついてこなくなってきてからはすごく辛かった。優勝した次の大会では決勝残るだけに終わっちゃって、この次の年は決勝にすら残れなくなって、その次の年も全国の派遣標準記録切るだけで精一杯みたいな。

-なるほど、小学生にはかなり厳しい試練のように思えます。
中学校は無事志望校に入って、もちろん水泳も続けるんですけど…。ジュニアの競泳も狭い世界なので、当時クラブチームに所属して水泳をやってるような人たちは名前を知らない自分の名前は知ってくれていた。確かに中学入学当時はまだ彼らより幾らかは速かったかもしれないけど、自分は既にスランプの真っ只中。そんな中、チームメイトたちと3年間リレーを組んでいくことになるんですけど…周りの期待に反して、自分の成長は止まっていて、でもチームメイトはどんどん伸びていってて。小学生の頃はやればやった分記録が伸びて、水泳を純粋に楽しめていたのに、気がつけば水泳が楽しめなくなったなっていうことは感じてました。自分としてはすごく苦しかったんですよ。

当時は精神的にも結構キツかったんですけど、中学3年の頃にちょっと気分転換にサイクリングに行こうかなって思って、例のスイミングスクールまでの往復で使っていた自転車でサイクリングコースに出かけたんです。
そしたらそこで、ぽっちゃりしたおじさんがロードバイクで後ろからすごいスピードで自分のことをぶち抜いていきまして 笑。やっぱり子供ながらにちょっと悔しくなって頑張ったんですけど、なかなか追いつけない。それどころかじわじわ引き離されてしまって。エンジンついてないのにあのスピード?って衝撃を受けました。その時に「スピードが出る自転車」を認識しましたね。気がつけばYoutubeでツールドフランスの映像を見たりしていて。

-友達の影響とかは特になく?
そうですね。特に影響はなく、自分で勝手に興味を持った感じです。水泳周りで自転車に興味持った人やサイクリング仲間はいませんでしたね。

-ではそこからスポーツとしての自転車に興味を持ち出すんですね。
まず、そう言う意味でロードバイクに興味を持ったのが中学3年の夏とかですね。ただ、当時は水泳部で主将も務めていたので、そのころはまさか自分が水泳を辞めて自転車競技にいくなんて思ってもみなかったんですけど。でも夏の全国中学の大会が終わって、まあ自分の主将としての役割も一区切り、みたいなタイミングがあって。しばらくして高校でも水泳を続けるのか何か別のことをやるのかっていう岐路に立った時にやっぱり自転車に転向しようって決断をしました。実際に練習というか乗り始めたのは始めたのは高校入る前3ヶ月ぐらいからですね。高校入学前に少しでも始めておいて、4月の入学時には始められるようにしようという風に思ってました。

-そこまでご自分で考えて行動されていたんですね。
そうですね。右も左も分からなかったけど、完全に一人でロードバイクに乗ってたっていう感じです。

自転車への目覚め。そしてもう一つの重要な決心が生まれた中学3年生

-そこまで打ち込んでいた水泳をやめて、いきなり自転車競技を始めることはかなり思い切った決断に感じます。当時の心境ってどんな感じでしたか?
そうですね。中学のそれは自分の中で本当に大きな決断でした。
でも、既に精神的にも結構追い込まれていたし、中学最後の大会はもう「主将に選ばれたからやってる」っていう義務感だけでやっていたようなものなので、いざ大会が終わって自分を客観的に見つめ直した時に、もう高校3年間で水泳を続けるモチベーションは残っていなかった。
水泳は自分にとっての大事なアイデンティティではありましたけど…最後には、やっぱりどこか縋り付いていたところもあったのかなって。いっそ転向して、 自転車でインターハイ勝てばいいんじゃないかって。心の底からモチベーションを切り替えられたって感じですね。

-自転車に切り替わったきっかけは理解しました。ちなみに競技が切り替わっても、大前さんのスポーツに対する関わり方は、「プレーヤー」の一人であるということには変わらなかったのかなと思います。プレーヤーを陰から支え、一見対極的に思える「スポーツドクター」という目標設定がここにどう絡んでくるのでしょうか。
実は、中学1年生のころにスイミングクラブを一回変えたんです。自分が伸び悩んでいたのを全て指導者のせいにするつもりはなかったんですけど、やっぱり環境を変えてでも頑張り直したいというのも強かった。
少し話がそれますが、水泳のトレーニングってすごい泳ぎ込みをするんですよ。2時間の練習の中で6000mとか7000mとか。正直、競技自体は50m、100 mで終わってしまうものなのに「なんで俺は6000mも泳がされてんだよ」ってずっと疑問に思ってた。でも移籍先のスイミングクラブでは2時間の練習の中で2000m〜3000mぐらいし泳がなかったんです。ウォーミングアップ〜メインセットとして50mや100mの全力をインターバル〜クールダウンまで含めてその距離。移籍したそこは、小論文などをベースにしたロジカルなトレーニングを推し進めていて、全国大会の団体競技で上位に食い込む、すごく勢いのあるそのスイミングクラブでした。

-なるほど。そこでの経験が結びつくわけですね。
食事の取り方であったりとか練習後のケアに関することだったり、プールの中以外でも当時としては最先端の考え方を説教的に取り入れられていた。
当時はまだうっすら興味があるぐらいで、そういった要素が「運動生理学」と絡んでくるっていうことは後々になって気づくんですが…。

-では実際に「運動生理学」という言葉を認識し出したタイミングは?
中学時代に、ある治療院でマッサージに通っていたんですが、マッサージってちょっとパーソナルなコミュニケーションも生まれる場所じゃないですか?
当時、自分が水泳をやっていることや、所属するクラブのコーチがどういう人だとか、移籍先のクラブの先進的な指導方針に関して個人的にも興味がある、みたいな話をしたりしていて。こういうのを勉強するとしたらどういう場所を目指せばいいんですかね?みたいな話をしたことがあったんです。

-なるほど。
柔道整復師の先生も領域が似ているのもあって「へえ、そういうことを面白いと感じるんだ」って興味を持ってくれて。「自分のように柔道整復師になる道や理学療法士になるという方法もあるけれど、専門学校を修了しなければいけない。大前くんが大学を目指しているんだったら、卒業後にさらに専門学校にいくことになる。だったらいっそ医学部に行って医学免許取っちゃえばいいじゃん」みたいなことをぽろっと言ったんですよ。で、そのあと色々調べたら、理学療法士や柔道整復師は、マッサージやリハビリに特化した資格なので医師の管理の承諾がないとどういう医療行為ができないという制約があることを見つけました。ところが医師免許を持っていれば、その人の技量があるないに関わらず法律的には自身が針を打つこともできるし、マッサージをすることも可能になると言うこともわかったんです。
「つまり、とりあえず医師になっちゃえばいいんだ」って思ったんですよね。将来的に医師になった後にでもマッサージをどこかで勉強すればマッサージもできるし仕事の幅が広がる。文はスポーツドクターという道を究めるために。武はスポーツの経験を引き続き積んでいくこと。自分が頑張ってきた文武はきっとこのためにあったんだ、これらでヘルスケアに貢献していこうって。

-中学3年生ですよね? 笑。
もちろん、まだ15歳だし、今後もやりたいことが出てくるだろうとは思ってましたよ?
でも、とりあえず医師免許取っておけば食いっぱぐれることはないかな、っていうことと、ここで夢途絶えて医学部行けなくても、勉強頑張ったっていう経験は活かされるかなって、漠然と思ってましたけど…まさかそこからブレずに8年間、そして今もブレてないってのは自分自身でも驚いてます 笑。

-…思春期ならではの誘惑とかはなかったんでしょうか?趣味とか。
そうですね。音楽や歌ったりするのは昔から好きで、本当恥ずかしいレベルですけど高校の時ちょっと文化祭でバンドやってみたりとかはありましたよ。あとは、恋愛とかそっちの誘惑になると、中学高校と男子校だったのもあって、そもそもの誘惑自体が存在し得ない状況だったかなと 笑。
でも…なにより純粋に自転車が楽しかったですね。中学の頃は自分自身の向上心と完璧主義がすごく自分を縛り付けていて、精神的にすぐ追い込まれていましたけど、高校入ってからはそれが心機一転、何か解き放たれたかのように、競技成績とか関係なく自転車自体が楽しいと思えてたんです。なので、自転車自体が頑張ることであって、これ以外のことにあんまり労力は割かなかったですね。

-きっと友達にも恵まれたんですね。
中学の頃の自分は、競技成績も伴わず、でも勉強も頑張って、本当に水泳と勉強だけで一日が終わるのを3年間やったって感じでした。なので、漫画の話アニメの話とかすぐ合わなくて、「あいつはちょっと違うやつだから」みたいな感じの目は向けられてたのかなとか。
でも高校は先輩にもすごく恵まれました。部活の競技力自体はそこまででもなかったかもしれないですけど、年齢関係なく冗談とかも言い合えるし、部活以外の休日なんかも、自転車乗るだけじゃなくてたとえば買い物行くとかそれ以外も遊べるような感じで。みんな仲が良く笑いが絶えない部活で、3年間楽しかったです。

-大前さんに影響を与えた方は?
影響受けたっていう意味でいうと中学時代の水泳のコーチなんかはすごく自分の人生決定において、影響を受けたと思います。あの時、運動生理学の基礎みたいなものを授けてもらえなければ、当然ながら今の自分はないと思いますし。
あとは、通ってたマッサージの柔道整復師の方ですね、アドバイスをくれた。

-マッサージ師の方、かなりキーマンですよね。
今はあんまり連絡は取り合っていないですが、医学部行くことが決まった時は直接報告はさせていただきました。喜んでくれて、今でも応援はしていただいてると思います。
あとは、勉強で言えば、医学部の眼科の先生もパワフルで憧れます。筋トレやって日サロ行って、ボディビルダーみたいな体なんですけど、ああ言う生き方できたらいいなって思いますし。競技でいえば、西谷さんのように輝かしい戦績をのこして引退できたらいいよなとか、それぞれの分野で尊敬できる方はいっぱいいます。
ただ、一方で何にしても「先人がいる」と言う部分では興醒めしてしまう自分もいて。

-…と言うと?
ずっと「取り替えの効かない人間でありたいな」って言うのは思ってて。
自分でやりたいと思ってることを先にもう実現してる人がいると「もう誰かにやられてんならもういいや」と思っちゃうんですよね。「ああいう人になりたい」と思って仮にそういう人になっても、それを模倣してるだけになっちゃうじゃないですか。だから、尊敬できる人は確かに色んな所にいてるんだけど、その人のようになりたいかというとまた違う、というか。

-間違いないですね。少し、大前さんらしさがわかってきた気がします 笑。ちなみに、思春期の早い段階から、運動生理学に興味を持ち始めたとの事でしたが、成長期の食生活はどんな感じだったんでしょう?
実は生活で気を配り始めたのはすごく最近で。それこそプロになってからぐらいなんです。水泳やってた頃は、食事に関してはもうとにかく「食え」って言われたんですよ。やはり、ある程度脂肪がないと水に浮かないんです。なので食べて脂肪がつく分には問題なくて、むしろ体重を減らすということが一番の脅威であって…。僕はどうやら遺伝的に筋肉がつきやすくて脂肪がつきにくいタイプのようで。お菓子や脂っこいものをどれだけ食べても体脂肪率が10%超えないので、「お前の体は水泳に向いてない」ってコーチに言われてました 笑。

競技が自転車に変わって筋肉の付き方とかは変わってきましたけど、体重や体脂肪率はほとんど変わらなくて9%ぐらい。おそらく、水泳も自転車も高強度のインターバルトレーニングが日常なので、基礎代謝であったり練習以外の部分で燃やすエネルギーっていうものが人より多いのかなって。それが、水泳の頃はややネガティブな要素につながっていましたが、自転車に転向してからは、意識しなくても常にしぼれてるっていうポジティブな要素に変わって。なので、食生活はプロになるまではあまり意識してこなかったですね。

-意外ですね。でも最近はかなり意識されてる印象ですよね?
そうですね。ただ、最近意識し始めた経緯を語ったほうがよければ、またそれは別で語りたいかな。…ちょっと長くなります 笑。

 

後編では、彼がプロレーサーとしてだけでなく、ヘルスケア分野においてもSNSで積極的に発信しつづける理由や、将来の展望などに迫る。

 

大前翔 Kakeru Omae (愛三工業レーシングチーム)

慶應義塾大学 医学部に籍を置くも、現在は休学してUCIアジアツアーに参戦する「愛三工業レーシングチーム」に所属。プロロードレーサーとして世界を目指すかたわら、ブログやSNSではスポーツ〜健康に関する情報を積極的に発信している。運用アカウントは こちら より。

主な成績
2015 インターハイロードレース 2位
2017 東日本ロードクラシックDay2 3位
2018 全日本学生選手権 個人タイムトライアル 優勝
2018 全日本学生選手権 個人ロードレース 3位
2018 全日本自転車競技選手権U23ロードレース 3位
2018 ツール・ド・ラヴニール第5ステージ 15位
2019 全日本学生選手権 個人タイムトライアル 2位
2019 全日本自転車競技選手権 個人タイムトライアル 4位
2019 ツールドバニュワンギイジェン 第3ステージ 優勝