レースアナウンサーとして全国で活躍する芦田氏。トラック競技の公式戦からホビーイベントまで、元気で親しみやすく、軽やかな口調でアナウンスされている。がらぱ節として親しまれている彼女の、自転車との運命的な出会いからアナウンサーを目指したきっかけ、「人との出会いが大好きなんです」と語るアナウンサーというお仕事への想いを伺った。

例えば、この関西シクロクロスだって、ちっちゃい頃から見てる子がどんどん強くなって、キッズのレースから、大人のレースに行ってガンガン勝って、そのうち全日本選手権とかで戦うようになって、そのうち世界にいって、日本代表で世界戦に出るっていうことが気軽にあるわけですよ。自分が日常お仕事させていただいているところに、すごく特別な位置じゃないところにそういう方がいてくれるっていうのが多分、私がこの仕事を飽きない理由だと思います。

この子もいつか世界で活躍する選手になるかもしれない

――アナウンサーを目指したきっかけを教えてください。

元々、しゃべりの仕事はしたかったんです。高校や大学時代は放送部にいて、一時期はアナウンススクールにも通って事務所に所属していたこともありました。その頃はスポーツとは全然関係なくて、どちらかというとFMラジオとかの仕事ができたらなっていう憧れがありました。それが、たまたま私が高校を卒業するくらいってマウンテンバイクのブームの頃だったんですね。フィッシャーが流行って、その後にアラヤのマウンテンが出てきた頃だったりして。その頃にたまたまマウンテンバイクに出会って、いつもの感じできゃっきゃしながら自転車買いに行ったら、「その感じで接客やってくれたらいいからウチこない?」って言われてアルバイトすることになって(笑)。6年くらいそこでアルバイトしてました。

1996年 グリーンピア三木サイクルロードレース

そのうちにマウンテンのお客さんに誘われてレースに行ったり、イベントを企画したりで、ホビーレースに参加するようになりました。その頃は女子って人数少なかったので、割といろんなところに行って楽しませてもらいました。当時はレースのエントリーがwebじゃないので、手書きだったんですよ。そのエントリーのところに抱負を一言みたいなのを書くところがありまして、その当時はレースアナウンサーっていう仕事があるのを初めて知った頃で、「そういう仕事にすごく憧れがあるんですけど、どうやったらできますか」みたいなことをズケズケと書いて、エントリーの事務局に送ったんですよね。そしたらたまたまエントリーのイベント会社さんの人がそれを目にして、たまたま表彰式のアシスタントに欠員があったらしくて、「そういうのをやってるんだったらいっぺんやってみるかい?」って誘っていただきました。その時の出会いがまた次の仕事に繋がって、気がついたら割とホビーレースに遊びに行かせてもらうようになったのがきっかけです。

――それはおいくつくらいのことですか?

始めたのは21歳ですね。19歳の時に自転車に出会ってハマって、21歳くらいの時に初めて仕事をさせてもらいました。なので、かれこれウン10年。ただホビーレースばかりだったのが、全国大会とかの公式レースに呼んでいただけるようになってからでいうと15年くらいですね。

――どんなきっかけでお仕事が増えたんですか?

その当時、レースの競技役員をされている方とも仲良くなって、いろいろ深く知っていきました。「審判の資格ってあるんだよ」っていう話を聞いて、じゃあ気軽に取れるエントリーレベルの資格をまず取ってみようか。そうしたらルールもよく分かるし、実況で喋るにもルール知らなかったらどうしようもないしっていうので取り始めたら、それもハマったんですかね(笑)。審判の資格もいろいろ勉強して、競技役員の勉強もしました。競技通告というのは責任のある立場になるので、競技役員としての知識が必要です。そういった資格があるから信頼していただいていて。そういうので泥沼にハマりました(笑)。最終的には2015年に1級まで取りました。

――資格を取ってから、何か変わりましたか?

どうなんでしょうね。最初は選手に失礼がないようにっていう思いだったんですね。自分がよく知らないのに、知ったような口を聞くのもどうかなっていうのもあって。私自身はそんな運動できるわけでもなくて、競技レベルがトップレベルにはいけないから、それだったらルールはちゃんと知ってないと申し訳ないなと思ったのがきっかけですし、自分の競技に対する意識も変わったように思います。

――自転車と運命的な出会いをされたというのは、先ほどおっしゃっていた、たまたまいろいろな出会いがあってということですか?

そうですね。私は人に恵まれてると思います。その時にたまたま来られてた方に、ご挨拶させていただいて、「そんなんだったらここで勉強してみるかい」とか、「こうやってやってみるかい」って引き上げてくださった方、たくさんお世話になっている方がいるので。

出場選手とアナウンサーの距離感が近く感じるのも芦田氏の魅力

お話を聞いていると軽快な喋り口で、とんとん拍子で目指していたアナウンサーになったように感じたが、実際にはこれまでにも様々な苦労があったようだ。アナウンサーを始めた頃の思いや、これからの目標を伺った。

――21歳で仕事を始めたときは、これからずっとこの仕事をやっていこうという思いがありましたか?それとも、やっていくうちにどんどんのめり込んでいった感じですか?

どっちかっていうと、やっていくうちにでしょうね。私がやらせてもらい始めた頃って、大先輩がいたんですよ。当時、どこに行ってもその方が喋っていて、たくさんの方が参加される大会で実況や通告されていて、その大先輩にだいぶお世話になりました。いろいろ教えてもらったので、そういうので恵まれてたっていうか、だから目指せたっていうのはあると思います。

――では、今はその方を目標にされているんですか?

語弊があるかもしれないですけど、誰かを目標っていうのはなかったです。他の方は私のことをがらぱ節だっていうんですけど、私自身はよくわかってないんですよ。だけど、私は私なりのそういうのがあるらしいので、私にできることしかできないので、目指す目標は自分の中にはあるけど、誰かを目標にしようっていうのではないです。

――ご自身の目標とはどういったものですか?

絶対ないですけど、これ完璧に仕上がったっていうお伝え方をしたいですよね。絶対に後から、ああしとけば良かったっていうのはあるので、そういうのがないのがいい。トラック競技だと日本新記録が出る瞬間にマイク持って私がお伝えするなんてことが、割と気軽にあるんですよね。大会記録はもちろんですし、それが当時の高校新記録だったり、大学新記録だったり、日本新記録だったりっていうのが出る瞬間に立ち会うのみならず、自分がそれをお伝えする立場にいることが、語弊があるんですけど気軽にあって、それはすごい恵まれているというか、幸せなことだなと思います。

2012年、この時18歳だった沢田時選手も、2020年に通算2度目の全日本選手権シクロクロス 男子エリートでタイトルを手にした

取材させていただいた当時は、関西シクロクロスが開催されている最中だった。小さい頃から見ている選手が、大人になって活躍するところを見ると母のような気持ちでよくやったと思うと話されていた。レース中も選手への声かけが多く、芦田さんが「行け行けー!」と声をかけると、「無理ー!」「無理じゃねー!」と、選手とアナウンサーの関係を超えたやりとりがあり、長く続けられているからこそ、選手との信頼関係があるからこそのやりとりだった。その雰囲気こそが芦田氏のアナウンスの魅力だと感じる。

――芦田氏はアナウンサーだけではなく、いろいろなプロジェクトにも携わっている。26年以上の歴史を持つ日本有数の公道レース「美山サイクルロード」の開催地として知られる京都府南丹市美山町で行う「京都美山 自転車の聖地プロジェクト」など、イベントのプロデュースや運営もその一つだ。

どのお仕事でもそうだと思うんですけど、自分一人じゃなくて人との繋がりがすごく大事だなって思います。私は美山町に10年前に移住したんですが、そのきっかけも自転車なんですよ。美山サイクルロードレースっていう、京都国体の時のコースをそのまま踏襲してずっと続いているレースに、京都車連さんのお手伝いで私も参加させていただいていて、その時のご縁で、お家も紹介していただいて移住しました。なので、地元の人たちからも「自転車の人で来たのね」っていうのがあって、地元のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に何かやったり、子どもも一緒に移住したので、お母さん、お父さんつながりで、イベントを一緒に手伝わせてもらったりとかやっちゃう方なので、割と泥沼にハマるタイプみたいです(笑)。

――お声がかかるのは芦田さんの信頼があってこそだと思います。

ありがたいですよね。結局、今も自転車とは全然関係ないですけど、5つぐらいのボランティアグループに関わったり、自治会みたいな組織に関わったりして、いろいろと人の繋がりをいただいています。

――お忙しいですね。全国にも行かれますし、その辺りのモチベーションや、やりがいはなんですか?

独りでいるより人とワイワイしている方が、楽しいですよ。それが一番モチベーションになってます。

――実況の時のお気持ちを伺います。リアルタイムで状況が変わっていくのは、説明するのが難しいと思いますが、どういったことを意識していますか?

テクニック的な部分で言うと、私は一言一言がすごく短いです。文章を長く喋るんじゃなくて、「これはこうだ。これはこうでああだ。」みたいな言い方で喋ってます。どっちかって言うと文法の組み立て自体は英語を組み立てる時と似てるかもしれないです。最初から最後まで人って聞いてくれないんですよね。だからどんなに立派な御託を2分3分並べても、最初から最後まで聞いてくれないと意味がわからないような文章だと多分伝わらないんですよね。それよりは落として落として、例えば「さっきよりも30秒ラップが早くなった!あんたはすごい!」って言った方が、この人すごいんだってなるじゃないですか。実際はそこまでぞんざいには言わないですけど(笑)。でもシンプルに何を伝えたいかは頭の中で組み立ててから、喋ってますね。実は頭の中ではワンクッション置いてます。ただワンクッション置いていることで、タイムラグができるのはシャクなので出来る限りそこはないように、見た瞬間に喋ってるようなつもりでは喋ってます。

シマノ鈴鹿ロードでは、バイクの後ろに乗ってレースを追いかけながら実況する

――見た瞬間に喋ってるように見えたんですけどね。すごいですね。

情報として何が欲しいかを常に考えていますね。自転車の実況って特殊なんですよ。選手もオーディエンスも同じ実況を聞くんです。トラック競技とかロードレースに関しても、会場でやっている実況は選手にも聞こえるし、お客さんに対しても喋ってるんですよ。でも、例えば野球の実況とかって球場で流れている実況音声とテレビでやってる解説用っていうのは違うじゃないですか。選手に対しては、実況者の声が聞こえないスタイルのスポーツも結構あると思うんですけど、私がやっている自転車の仕事の場合は、まず選手にも聞こえることありきなんですよね。だから、選手たちへ提供する情報っていうのは勝負を潰しちゃうこともあるんです。例えば、ずっと遠くから誰かが無茶苦茶に仕掛けている状況があったとして、前の選手がそれを気づいていない場合に、後ろの選手が仕掛けたって言ったらそれに気づいちゃうわけじゃないですか。それでレースを潰しちゃう場合もあるので、言ってもいいことか言っちゃダメなことか、常にそういう目線で見なきゃいけないのは特殊かなと思います。

――かなりたくさんの情報量がありますよね。今日の実況をお聞きするとフランクな感じですごく楽しそうだったので、実際はそこまで考えていたのが驚きです。

関西シクロクロスは、みんなに楽しんでもらうことがまず第一なので。それがトラック競技の実況とかになると、全然別で、変わってくるので様々ですね。楽しい雰囲気でやるのもあるし、ほんとに自分も胃がキュってなっちゃうような緊張感の中で喋ってる時もあります。

――今お聞きするだけでも、テクニックが必要だったり、多くの情報をうまく処理したり、難しいと思いますが、普段、技術向上のために練習はされているんですか?

なにかあるかな。それは多分選手と同じで、どんなに頭で考えても、実戦に勝るものはないと思います。ルールをある程度おさらいするとかの予備知識はもちろん必要ですし、例えば、こないだの和歌山の競輪選手の地区プロでは、50人くらいの出場選手の名前のリストから事前に読み仮名を調べたり、戦歴を調べたりはします。でも、自分でどれだけデータを調べても安心することはないです。これでもかっていうくらいデータは調べて、結局使うのはその中の1割あればいいかなってくらい。だから事前に知識を蓄積はして行きますけど、それをやってないと安心はできないけど、そればっかりではないですね。

――年間にどれくらいのアナスンスをされますか?

今年はコロナ禍の影響でイベントもなかったので実況のお仕事もありませんでしたが、例年であれば夏場は国体やインターハイの仕事があって、冬場はシクロクロスのイベントもあるので、そうだな、年間52週あるうちの、7割くらい出てるのかな。たまに冗談で、日本の中で一番レース見てる女じゃね?って言われますけど(笑)。

ホビーレースから公式戦の実況まで、幅広くこなす

――今年は、コロナ禍の影響で多くのイベントが開催中止となりました。その間はどういったことをされていましたか?

その間は何をするって言っても、何もできないので、とりあえず自分の知識を貯めようかとか、人の手伝いをしていようとか、一人きりで籠らないようにはしてましたね。ズイフトを使ったバーチャルレースもやってました。ベルギーのチームユーラシアIRCタイヤの橋川健監督と日本学生自転車連盟の三宅秀一郎さんが、ズイフトを使って若い選手たちが、バーチャルですが実名でレース形式で自分を追い込めるようなイベントがやりたいってことで、私に声をかけてくださいました。6月くらいに、最初は週一で1ヶ月間やって、その後、2週間に1回くらいのペースで、ズイフトのミートアップっていう機能を使ってのバーチャルレース。それを私のYouTubeチャンネルを使ってライブ配信して、それに私が実況を乗っけたり、誰か解説に入ってもらったりしてやってましたね。

――それは結構、反響があったんじゃないですか?

そうですね。レースがない時に追い込める機会があって、いいきっかけというか、全然出られなくてストレスになっていた時に、いいイベントになったという話でした。橋川さんは、若い選手を育てるためにあのチームをやってるので、若い選手が走る機会がないのをなんかできないかっていうので相談があって、じゃあズイフト見てみますねって言った3日後くらいにテストイベントをやってました。話が早いな!みたいな(笑)。

コロナ禍の影響でレースは激減してしまったが、がらぱ節は大人気

――アナウンス席から見るレースは観客席から見るものとは違うと思いますか?

よく言うのは、私が一番いい席でレースを見させていただいているってことです。実況席っていうのはレース全体が一番よく見渡せて、勝負の結果もいち早く自分の目に飛び込んでくる。その場所で、私はマイク持たせていただいています。そこで私が受けた興奮だったり、エキサイティングな思いをしたことを伝えて差し上げたいと思うので、見えているものが違うというよりは、情報量が観客席から見るよりもとても多い、贅沢な席で見させていただいていると思います。

――それは特別な体験ですよね。

私が今お伝えできる立場に居させていただいているというのは幸せだなと思いますよ。私は生まれた時からこれをやりたいと目指して、コツコツとやってきたわけではないですし。スポーツ選手なんかだと親御さんがその競技をやっておられた影響があって、子どもの頃から英才教育して、プロになってる方もいらっしゃるじゃないですか。そういうことではなくて、たまたまこういう道があって、何となくこういう風に選んできたら今の私の道があるので、そういう中で、幸せだなって思えるようなことをさせてもらってることはすごい感謝ですよね。

――長く続けられた秘訣は何だと思いますか?

好きだったというのも単純にありますけど、私に名前を呼んでもらえることが嬉しいとか、励みになったとか、それを目標にしてるってわざわざ言ってくれる子たちがいるんですよ。親御さんでもそうやって声かけてくださる方もいて。高校生とか、割と若い世代の大会も携わらせてもらっているので、親御さんや選手たちと喋る機会もあるんですけど、今ってSNSで気軽に私から発信している情報に絡んでくれる子たちもいて、「また次呼んでもらえるのを目標に頑張ります」とか言ってくれる可愛い子たちもいて、ありがたいなとは本当に思いますね。呼んでもらえることが励みになりますって、目標にしてるとかって言われると、背筋がのびますよね。無責任なことは言えないなって。

――最後に、今後のことを伺います。すでに様々な活動をされていますが、新たにチャレンジしたいことはありますか?

なんだろう。もっとこうやりたい、もっといろんなものに出会いたい、もっといろんなところへ行ってみたい、やってみたいっていうのはあるんですよ。欲っていうのはあるので。多分そういう意味では今の自分にある程度、満足はしていて、でも満足はしていないんです。やっぱり人間だから評価もされたいし、褒められたいってのもある、自分自身が満足いくような毎日も送りたいし、その中で、いろんな選択肢をその時に選んできたら今の自分があるので。この先何があるか分かんないけど、今の自分が思っている満足をさらに深めたいとは思いますけど、具体的に何かっていうのは正直ないです。

――出会うものがあればですか?

そうですね。だって出会うことによって新たな展開っていうのが、私の人生の中ではいろいろあるので。もしかして出会ってるかなこのチャンスっていうのは、とりあえず乗っとけっていうのはあります(笑)。

――すごく意欲的ですよね。世の中には新しいことに抵抗感がある人も多いじゃないですか。

負けず嫌いでもあるので、これできる?って聞かれた時に、できませんっていうのが死ぬほど嫌なんですよ。できないことがあれば、できるようにするには、どうすればいいんだろうっていうのを考えます。それである程度できるようにするための自分に対するいろんなことは、とりあえずやろうとは思いますね。だからと言って努力家ではないんですど。もっと努力している人は世の中にたくさんいると思うけど、自分が出来る限りのことはやろうと思います。

――夢はありますか?

夢ね。今の人との出会いが、もっともっとこれからもいろんな繋がりに広がっていってくれたらいいなとは思いますね。人と繋がってることや出会ってることが私はたまらなく好きなんだと思います。じゃなかったらこの仕事してないですね。例えばイベントに行ったりすると、一年ぶりに会う方もいて、そうやって今日出会ったこととか、今日喋ったことがたまらなく愛おしいんですよ。だから、それこそコロナ禍で全然イベントがなかった中で、もしかしたらこの先、出会えないかもしないと思っていたことが、なんとか手元に戻ってきたことが愛おしくてしょうがなかったんですよね。そうやって今自分が大事に思っているものをもっと大事にして行きたいっていう、すごく抽象的な感じですけど、そういうのは夢と言っていいのかもしれないですね。人との出会いが大好きなんです。